Wednesday, April 15, 2009

KWM-2A レストア プロジェクト

結局、KWM-2Aは受信の方は何の問題も無く、すばらしい感度とオーディオで聞こえてきた。しかしSメータは動かない。Tuneにも問題があってこのままでは使い物にならない。 よっぽど専門家にリペアーを頼もうかと思ったが、トランシーバの構造を理解する上でも自分でレストアすることにした。
たぶん、最初から専門家に頼んでおいた方が安くついたと後悔するに違いない。

CQ Magazineを見ていて下のような広告が目に留まったのも、レストアすることの後押しする結果となった。





早速、オーダーしておいたDVDが届いた。






2枚組みのDVDで4時間分とのこと。



ざっと見てみたが、さっぱり解らない。言っていることが僕には理解できない。 

書いたものがないと、どうにも塩梅が悪い。 そこで大慌てで三省堂にKWM-2のメンテナンスという本を取り寄せてもらうようお願いした。 これはWI2P 伊藤OMより頂戴いしたコリンズのメンテナンスと同じ著者のものでKWM-2のメンテナンスと銘打ってるからには、きっと詳しく解説してくれてるに違いないと思ったからである。果たして、この本もどの程度僕の役に立ってくれことやら。 この本を読むのに又次の参考書が必要になることは間違いない。


さて、レストアするには、やはり電源部である516F-2が必要だろう。
ついでにリニアアンプの30L-1、それにVFO 312B-5も来月行くHAMVENTIONで探そう。


その間の宿題として、レストアに最低限必要な測定器はどんなものかも勉強しておこう。

悲しいかな、今は測定器と呼べるかどうかは疑問だが、




上の写真のテスタとアンテナアナライザの2つしかない。

これから、少しずつ増やしていこう。

Monday, March 23, 2009

JAコール

かねてより、WI2P伊藤OMのお手を煩わせていた私のJA無線局免許状が本日メールされてまいりました。それも旧コールサインで。 伊藤OM 本当にありがとうございました。お礼の言葉もありません。
早速、額に入れ感無量で眺めていました。いやはやJAコールと言うのは自分の努力とは何の関係も無く順に与えられたものではあるのですが、やはりうれしいものです。それも私以外は誰にも支給されたことの無い、正真正銘私だけのコールサイン。何か日本版バニティーコールをもらったような感じです。
コールサインは単なる識別信号なのだけれど、その識別信号がそれを使う人格を通して違った意味を持ってくると思うので、KI2P, JA3PXIのコールサインが恥じることの無いコールサインになるよう努力していきたい。

Wednesday, March 11, 2009

WI2Pさんからのプレゼント

コリンズのKWM-2Aを買ったんだけど、受信はできるがSメータが動かない。メータが動かないのでTUNEもとれない。そんな話をWI2Pさんに話したら、早速「コリンズのメンテナンス」という本を送ってくださった。感謝、感謝。
これで少しは道が開ける。
先ずはこの本が理解できるようになることだ。 それとメンテナンスに必要な工具と測定器を揃えなければ。これは結構遣り甲斐がありそうだど。 おしゃべりも楽しいけど、こっちも楽しそうだ。先ずはこの本を理解できないとは思うが、最後まで読んでみよう。 トランシーバに触れるのはその後にしよう。
さあ、忙しくなる

Tuesday, March 10, 2009

━ ━ ・ ━ ━   ・ ━ ・   ━ ・

昨日テレビを見ていて、モールス信号と言う声が、僕の耳をかすめた。
モールス信号と聞いたからには、しっかり内容を聞かないといけないと、改めて座りなおした。 その内容は、僕を感動させるに十分であった。
これは皆さんにもお伝えしなければと、このブログの更新をこの内容ですることにした。
本来なら、KWM-2Aのレストア関連のことを書きたいのではあるが、そちらはまったく進展なし。

このタイトルを見て、すぐに僕が書こうとしていることが分かるOMはかなりのものであろう。それに和文モールスもわかる。

さて、その内容であるが、1956年日本で最初の南極越冬隊が昭和基地建設に向かって出発した。第一回目の南極越冬と言えば、程度のいい極寒の南極で人が冬を越せるのかの人体実験みたいなものであったに違いない。
通信手段も衛星通信も無ければインターネットも無かったこの時代、モールス信号による通信が唯一この南極と日本を結ぶ通信手段であったようだ。

越冬隊員は日本の家族から送られてくる、このモールス信号による電報を心待ちにしていたに違いない。モールス信号による電報は短くするようになっていたようだ。どの電文も短い。その中で、一際短く際立っていたものが、越冬隊員大塚正雄さんの奥さんから送られた、今回タイトルにした電文だった。

この、極端に短い「アナタ」の3文字の中に、奥さんが伝えたい気持ちのすべてが込められている。不安や、寂しさや、夫を思う気持ちが。

僕が、家内からこんな電報をもらったら泣き出してしまうに違いない。

働き蜂、ビジネス戦士と言われた、団塊の世代の諸氏、こんな電報を奥さんから送られる自信はおありかな。生憎、僕にはこんな電報を家内から貰える自信は無い。

それに、昨今の携帯電話ではこの感覚は味わえないか。

古き良き時代のロマンを垣間見た。

Friday, February 27, 2009

KWM2-A & MM-1



KWM2-AをセットしてFT-1000MPと聞き比べてみた。なんと驚いたことに、この昔のトランシーバの方がノイズが少なく聞き取りやすいではないか。ちょっぴり、びっくりであった。 ところがしばらくバンドを移動しながら感心して聞いていたのであるが、ふとSメータを見ると動いていないではないか。どこかおかしい。 これは送信の方も危ないのではないかと思ったものの、マイクがなかったので調べられなかった。 
今日マイクが着いてTUNEを試みたのだが、やはりメータが動かない。これはちょっと無駄遣いしたかなっと思ったが、考えてみれば、レストアするつもりであったのだから、受信できるだけでも良しとしないといけない。 これでこのトランシーバは僕の良き教材となってくれそうである。 電波が出るまでどのくらいかかることやら。 僕の闘志をかきたててくれる。 回路図を見たところでは、それほど複雑でもなさそうである。
それにしても、今日届いたマイクはいつの時代のもであろうか。結構古いことは間違いない。ダイキャストでずっしり重い。そんなことより、そのデザインに驚かされた。僕には明らかにアールデコの影響を強く受けているように見えるのだが。 
アールデコは1920ころから1930年くらいに流行ったデザインであるから、その時代のものであればかなりの年代ものである。それにマイクにこんなデザインを取り入れたコリンズという会社は、当時只者ではなかったことを物語っている。 今の無線機器の機能美ばかりが追求したと思われる、無機質さからは考えられない余裕を感じさせられる。僕は当時の無線機に思い入れはないので、こんなところに目がいってしまう。 それに、今はこのトランシーバの性能を論じられるほどの知識が無いのが残念である。

Friday, February 20, 2009

アンティック トランシーバ



今日帰ると大きなパッケージが届いていた。待ちに待ったトランシーバが届いたようだ。早速パッケージを開ける。

とても大事に使っていたのが梱包から分かる。

トランシーバの蓋を開けると、オリジナルのマニュアルと参考資料がプラスチックのバブルシートとともに出てきた。おそらく真空管が動くのを気にしての事だろう。

このトランシーバを買いたかったのは、僕の同年代のHAMが挙ってこのトランシーバを賞賛していることと、早く彼らの話題についていきたかったからである。僕はリアルタイムではこのトランシーバを知らない。少しでも、同年代のHAMに近づきたいと、先ずは手始めにこれを選んだ次第。



何とも格好がいい。無線機というデザインをしている。前のオーナーから電源を入れる前に、先ずはマニュアルを熟読するようにとメッセージあった。早く電源を入れたいのではあるが、明日真空管がしっかり差し込まれているかチェックし、マニュアルを読んでからにすることにする。

追々、レポートしていきたいと思う。

Sunday, February 15, 2009

楽しかったEyeball QSO

先日、 JA0DNE 若林OMとCQ100でお会いした際、ロスに来られ、その後コネティカットにも来られるようなことを伺い、OMの時間が許すようなら是非NYでお食事でもご一緒したいとお伝えしておいた。僕にとってはライセンスを取って初めてのEyeball QSOである。 過去にはChatのオフカイなるものは何度か経験していたが、HAMの方とお会いするのは始めてである。

僕が免許を取ったばっかりで、まだCQ100のトランシーバーしかないころお会いして以来、いろいろご指導頂いている大先輩である。若林OMから土曜日にNYに入るので、その夜に食事でもどうかと携帯に電話を頂いた。驚いたことに、その週は非常に寒く、連日マイナス7,8度の日が続いていたのだが、そのウィークエンドだけ異常に暖かくなった。ほんのつかの間OMのいる間だけ10度を超えるような暖かい日になったのである。

僕は緊張しながらマンハッタンに出るべく、少し早めに家を出た。 週末のバスの時間のいい加減なことは承知してるのではあるが、こうした時に限って遅れるものである。案の定、この日も30分待ってもバスは来ない、仕方なくかみさんに頼んでホテルまで送ってもらう。
レストランでサーブしてもらったウエイトレスと一緒に写真をとる。
僕はWI2Pさんより頂いた帽子をかぶって出て行った。電話で話した際、僕はWI2Pさんから頂いた帽子をかぶって行くので、すぐに分かりますよと伝えておいたこともあり、すぐに分かりあえた。その後ホテルの近くにある日本レストランに行き、楽しいひと時を過ごすことができた。僕は酒飲みなので、OMも酒が嫌いじゃなければいいがなあと思いながら、聞いてみると、OMも嫌いじゃないという。この一言で僕の緊張は何処かに行ってしまった。酒の肴をつまみながら、無線の話や、僕のリタイアの後夢のカリブ、レンタルシャックの話と、色んな話に花が咲いた。

いつもの日本からの来られるお客さんのアテンドとは違って、仕事抜きでの食事は楽しい。それにOMとは同年代で話も合う。実に楽しいEye ball QSOであった。

レストランをでてからOMのホテルにお邪魔をして、CQ100で日本のステーションを呼ぼうとしたのだが、あいにくコネクションがうまくいかず、誰とも交信できなかった。マンハッタンでEyeball QSOしてるよって、自慢したかったのに実に残念だった。
OMのホテルで
そうこうしている内に、かみさんから電話が入った。 もう最終のバスは出てるはずだけど、酔っ払って乗り越したんじゃないのと言う。 そのとき、未だ僕はOMのホテルで、最終のバスの時間を忘れて長居をしていた。 申し訳ないけど、もう一度ホテルまで迎えに来てもらえないかと低調にお願いする。もう夜の1時近くである。明日は何かお返ししなければ。



そのときOMに写して頂いた写真である。
帰ってきてから、かみさん曰く、若林さんて僕と違ってディーセンントで紳士的な方ですねって
それにしても楽しいEyeball QSOであった。