Friday, February 27, 2009

KWM2-A & MM-1



KWM2-AをセットしてFT-1000MPと聞き比べてみた。なんと驚いたことに、この昔のトランシーバの方がノイズが少なく聞き取りやすいではないか。ちょっぴり、びっくりであった。 ところがしばらくバンドを移動しながら感心して聞いていたのであるが、ふとSメータを見ると動いていないではないか。どこかおかしい。 これは送信の方も危ないのではないかと思ったものの、マイクがなかったので調べられなかった。 
今日マイクが着いてTUNEを試みたのだが、やはりメータが動かない。これはちょっと無駄遣いしたかなっと思ったが、考えてみれば、レストアするつもりであったのだから、受信できるだけでも良しとしないといけない。 これでこのトランシーバは僕の良き教材となってくれそうである。 電波が出るまでどのくらいかかることやら。 僕の闘志をかきたててくれる。 回路図を見たところでは、それほど複雑でもなさそうである。
それにしても、今日届いたマイクはいつの時代のもであろうか。結構古いことは間違いない。ダイキャストでずっしり重い。そんなことより、そのデザインに驚かされた。僕には明らかにアールデコの影響を強く受けているように見えるのだが。 
アールデコは1920ころから1930年くらいに流行ったデザインであるから、その時代のものであればかなりの年代ものである。それにマイクにこんなデザインを取り入れたコリンズという会社は、当時只者ではなかったことを物語っている。 今の無線機器の機能美ばかりが追求したと思われる、無機質さからは考えられない余裕を感じさせられる。僕は当時の無線機に思い入れはないので、こんなところに目がいってしまう。 それに、今はこのトランシーバの性能を論じられるほどの知識が無いのが残念である。

Friday, February 20, 2009

アンティック トランシーバ



今日帰ると大きなパッケージが届いていた。待ちに待ったトランシーバが届いたようだ。早速パッケージを開ける。

とても大事に使っていたのが梱包から分かる。

トランシーバの蓋を開けると、オリジナルのマニュアルと参考資料がプラスチックのバブルシートとともに出てきた。おそらく真空管が動くのを気にしての事だろう。

このトランシーバを買いたかったのは、僕の同年代のHAMが挙ってこのトランシーバを賞賛していることと、早く彼らの話題についていきたかったからである。僕はリアルタイムではこのトランシーバを知らない。少しでも、同年代のHAMに近づきたいと、先ずは手始めにこれを選んだ次第。



何とも格好がいい。無線機というデザインをしている。前のオーナーから電源を入れる前に、先ずはマニュアルを熟読するようにとメッセージあった。早く電源を入れたいのではあるが、明日真空管がしっかり差し込まれているかチェックし、マニュアルを読んでからにすることにする。

追々、レポートしていきたいと思う。

Sunday, February 15, 2009

楽しかったEyeball QSO

先日、 JA0DNE 若林OMとCQ100でお会いした際、ロスに来られ、その後コネティカットにも来られるようなことを伺い、OMの時間が許すようなら是非NYでお食事でもご一緒したいとお伝えしておいた。僕にとってはライセンスを取って初めてのEyeball QSOである。 過去にはChatのオフカイなるものは何度か経験していたが、HAMの方とお会いするのは始めてである。

僕が免許を取ったばっかりで、まだCQ100のトランシーバーしかないころお会いして以来、いろいろご指導頂いている大先輩である。若林OMから土曜日にNYに入るので、その夜に食事でもどうかと携帯に電話を頂いた。驚いたことに、その週は非常に寒く、連日マイナス7,8度の日が続いていたのだが、そのウィークエンドだけ異常に暖かくなった。ほんのつかの間OMのいる間だけ10度を超えるような暖かい日になったのである。

僕は緊張しながらマンハッタンに出るべく、少し早めに家を出た。 週末のバスの時間のいい加減なことは承知してるのではあるが、こうした時に限って遅れるものである。案の定、この日も30分待ってもバスは来ない、仕方なくかみさんに頼んでホテルまで送ってもらう。
レストランでサーブしてもらったウエイトレスと一緒に写真をとる。
僕はWI2Pさんより頂いた帽子をかぶって出て行った。電話で話した際、僕はWI2Pさんから頂いた帽子をかぶって行くので、すぐに分かりますよと伝えておいたこともあり、すぐに分かりあえた。その後ホテルの近くにある日本レストランに行き、楽しいひと時を過ごすことができた。僕は酒飲みなので、OMも酒が嫌いじゃなければいいがなあと思いながら、聞いてみると、OMも嫌いじゃないという。この一言で僕の緊張は何処かに行ってしまった。酒の肴をつまみながら、無線の話や、僕のリタイアの後夢のカリブ、レンタルシャックの話と、色んな話に花が咲いた。

いつもの日本からの来られるお客さんのアテンドとは違って、仕事抜きでの食事は楽しい。それにOMとは同年代で話も合う。実に楽しいEye ball QSOであった。

レストランをでてからOMのホテルにお邪魔をして、CQ100で日本のステーションを呼ぼうとしたのだが、あいにくコネクションがうまくいかず、誰とも交信できなかった。マンハッタンでEyeball QSOしてるよって、自慢したかったのに実に残念だった。
OMのホテルで
そうこうしている内に、かみさんから電話が入った。 もう最終のバスは出てるはずだけど、酔っ払って乗り越したんじゃないのと言う。 そのとき、未だ僕はOMのホテルで、最終のバスの時間を忘れて長居をしていた。 申し訳ないけど、もう一度ホテルまで迎えに来てもらえないかと低調にお願いする。もう夜の1時近くである。明日は何かお返ししなければ。



そのときOMに写して頂いた写真である。
帰ってきてから、かみさん曰く、若林さんて僕と違ってディーセンントで紳士的な方ですねって
それにしても楽しいEyeball QSOであった。